哲学科卒美大中退フォト/ビデオグラファーのアート全域鑑賞記録

アート全般に関するフランクな考察、感想が読みたいなと思ったのでまず自分が書いています

オーディオブック史上最高の体験

それは火車

 

1番最初に聴いたのがこれだったんですよね

 

正直そんなエンタメ小説、ミステリーに興味ないんですけど

 

これ聞いてみたら三浦友和さんの声質と演技が生み出す世界観、雰囲気が良すぎてまず中身とか関係なくトニカク聞いてたかった。

 

それがもちろんこの作品と最高にマッチしていてもうずっと聴いてる間楽しいという人生の読書体験でも最高だったと思う。

 

これ以降読書でもオーディオブックでも超える体験はしてないなぁ

 

やっぱ読書ってオチがどうとか、学びがあるとかより常に歩く道中のその一歩一歩が面白いかどうかなんよな

 

これは人生も一緒や!

 

Audiobook.jpに火車はないですけど、貼っておきます!

エヴァとアステロイドシティ ウェスアンダーソン評

https://eiga.com/movie/99273/photo/

ウェスアンダーソン。アステロイドシティの前作はもう人類の叡智を越えてましたね

 

こっちはcmではなんかいつもの小規模ムービーぽくて別にいいかと思ってたんですが

 

見たらとんでもない

 

スカーレットヨハンソンと窓越しに喋るシーン、スカーレットヨハンソンが映画内でも女優で演技のデモをしだす。

 

その時に窓枠がフレームになって映画内映画が生まれてる。こういうのって最初にやった映画がたぶんあると思うけど、何なんやろ

まぁまずこの美しさにくらっときました

 

 

全体通してカメラワークの的確さはいつも通り気持ちいい

 

宇宙人が来て写真でポーズ撮るところ最高やな

笑った 普段映画で笑うことなんてまじでないけど

その次のシーンでスカーレットヨハンソンが窓越しにポーズしてて、宇宙人がポーズしたことに対して被せてあってそれも良かった

 

終盤で教室みたいなスペースで抽象的な世界に入るところワクワクしたな〜

ここがめっちゃエヴァやなと思った。どことでも捉えられる無地の空間に登場キャラが集まって、眠るためには起きなければならないとか抽象的なセリフの連呼

たぶんエヴァ見てやってるやろって思った

 

エヴァの最後にキャラ全員がエヴァ上の現実世界離れて教室とか体育館でそれぞれ、自分の脳内の思考の独白したり、シンジに向けて喋ったりするシーンがある

 

最後セリフまわしえぐいのがあったけど忘れてしまった。ずっと主人公が言ってた言葉を見事に回収してた

 

広瀬すず写真集 撮影奥山由之 レジャートレジャーからモデル写真集について考える

 

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これ読んですげー静かになった

 


周りと、自分の心が。それまでの浮ついた気持ちたちが消えた

 


普通になんやこれって思ったからなんやけど

 


奥山さんはすげー写真家、広瀬すずさんはすげー女優、名久井直子さんはすげー装丁家

 


Topxtopxtop topの3乗でできたものがこれかーってめっちゃテンション下がってもうた。楽しみにしてたから

 


これマネージャーさんでも撮れるやんって

 

ていうか、これ顔部分を広瀬すずさん以外の顔に置き換えても成り立つよな~

そんなん当たり前か

 

乃木坂の写真集がこれなら何も思わんけど、クリエイティブのトップ陣が揃ってこれかぁ〜って


インスタで色んな名のないカメラマンの名のないモデル写真見てる方が感動がある

 

 

トップの人にはやっぱうわーやっばって思わせて欲しい。けどまぁそういうコンセプトじゃなかったんだろうけど

 

 

こうなると写真集て何なんやって考えるな〜

有名人個人を撮った写真集で最高の形ってどんなんなんやろ

 

この人にしか撮れない写真てのは信じないけど、この人(被写体)でしか撮れなかった写真はあると思うな〜

 

て考えると、そのモデルが写真家の能力を個性を無化した記録の集積としての写真集が最強やん

 

これが奥山さんが有名になった久々に売れた話題になった写真集

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M-1 決勝見て思ったこと-立体感三次元の重要性

短くまとめます。

 

まず最初の方(令和ロマンの次らへんから見た)のコンビおもしろくなさすぎる。まじでなんで決勝まで通ってきたんかわからん。これが日本の頂点てやばいやろ。イライラしてTver消す。(いつもこうなってる気がする)

 

終わってから決勝メンバーのネタのみ一回戦から見ることに

 

令和ロマン見る 出てきてすぐにもうさっき見てたものと違いすぎる

 

空気が違う。会場変わったんか?このコンビだけなんか違う条件でやってんのかみたいな。

この瞬間に救われた。あー良かった日本の頂点はちゃんとおもろい

 

令和ロマン見て思った

 

トップに立つ人たちって、例えばアマチュアの人のスポーツとかショーとかなにか見た時に、

普通におーって感心するけど、その後プロの本物を見るとあっ全然違うわ、やっぱプロは違うわ、てなるあれを他のプロに対してやれちゃうんや

 

で、実際なんでそんなに違うように感じたか考えると、令和ロマンだけ立体的だったからだと思う

 

他の漫才師は二人で世界を作り上げて閉じてる。客席とステージの間に完全に線が引かれてて、客は傍観者として安全地帯で見るだけ

 

でも令和ロマン特に一本目は、ステージからユニバの4dシュレックみたいに飛び出してきて客に直に干渉してる感があった。

 

そうなると、どうなるか

まず第一の受け手であるその場のお客さんも平面的ではなく、立体的に反応する

 

その他の閉じた 平面的な 漫才の時よりも明らかに 会場にダイナミックな揺れが起きてた

 

電車で近くに知らん美人が立ってるよりも、学校でまぁまぁな子が話しかけてくるときのほうがドキッとするあの理論でこれは説明できます。

 

一線引いた向こうで起きてるか、こちらで起きてるかで自分の心への働きかけはレベルが違う

 

それができたのってなんでだろ〜

 

理由1.まず一番きついトップバッターという出順、みんな知ってるこの難しさ

出る側も見る側もスタッフも審査員も緊張してる

 

でもお笑いは緊張と緩和なのでこれって今回みたいにすごい良い方に働くこともあるのかも

 

すごい緊張状態やからうまく弾けさせると普通よりドーンっていけるのでは

 

プラス、その難しさ知ってるがゆえに、開き直って勢いつけて振り切っていけたんじゃないかなっていうのを見てて感じた

 

理由2.令和のボケの方の意識

 

さっき述べた理由1も絡んでくるけど、トップバッターが他よりもネタそのものだけじゃなくて、お客さんに対する意識が強くなるのでは?

 

一番客の状態が分からない、気になる出番やから客への意識がすごい強くなるんじゃないか

 

それと、そもそものこのボケの方の客とコミュニケートしようとする意識、しっかりボケで働きかけて、その反応の返りを受け取って、次へ進んでいるように見えた

 

他のただ台本に沿って2人だけのやり取りを見せる漫才と違った

 

理由3.お茶の間と繋がれる深さと浅さの絶妙なバランスで共感させられた

 

誰もが知ってるパンくわえて走ってぶつかるシーン。こういうのはその世界にまず入って内側で何か変化を起こそうとか考えちゃうけど、その世界に安易に入っていくんじゃなくて、

 

それを議題のようにぽわんと浮かして、外から喋りで取り扱うという新鮮さがまずあった

 

そしてこの大定番のシーンを少し掘って外から切る。ほとんどの人は中に入っちゃってるからここで外から切られてしまう

 

その切られる快感が笑い お笑いのセオリーの一つ裏切り

 

この時の切る視点が「考えてみればそう!だけど、考えたことがなかった」っていう最高にウケるバランス

 

大定番(偏差値低)を少し深掘りする(偏差値上げ)ことで絶妙な偏差値になった。誰でもすぐ分かるじゃなくて、考えてみるとめっちゃ分かっておおーってなる

 

この時にその場のお客さんたちがその前の掴みのコミュニケートを経て、顔が緩んでるとこで来たから準備完璧でぐわーんって心から揺さぶられてるのが目に見えるようやった。

 

一線超えた向こうでやってるおもろいことではなく、誰もの頭の中にある素材で共感を得ることで、客それぞれにとって「私の今ここ」で笑いが起こる感じ

 

笑いはまず客席で起こって、そのどよめき加減を含めてテレビの向こうのぼくらはおもろさを即座に判断して、めっちゃおもろいとかまぁまぁおもろいとか脳内で点数に変換してると思う

 

 

とか言いながら、個人的に真空ジェシカがだんとつで面白かった笑

真空ジェシカはあれでもまだ偏差値バランスが少し上に振れたままで、

 

それが故に一線の向こう側、もう少し下ろさないと客席との間の線を越えてみんなの心に直接触れられないんじゃないか

 

映画どろぼうのくだりは一瞬客席まで降りそうになってたかも

でもあれも映画どろぼうの方の世界に入っちゃって内側で崩してるから、外側から見る客の隣で直に心には触れられないんかな

 

読んでくれた方ありがとうございまちゅ!

 

ジャ・ジャンクー 青の稲妻 考察

 無気力な生活の中でも鎮火しきることのないエネルギー、赤々と燃えることはなくても、青い一瞬の閃光として放電される。

 田舎であってもドル紙幣、拳銃、外交問題のニュースとアメリカが途切れ途切れに入ってくるが、若者が憧れるような欧米文化は入ってこない。向こうからふとした瞬間に現れるだけでこちらからアクセスすることはできない。明確なつながりがない。

 唯一ハレの場としてクラブだけがあるが、そこはヤクザの縄張りで盛り上がりかけたロマンスは頓挫する。

 

 例えばエドワード・ヤンのクーリンチェでもアメリカが憧れの対象であり、閉塞した環境にいる若者には大抵の場合そうしたわずかな希望が用意されていてそこにしがみつこうとするものだが、この映画の場合はそうなっていない。

 

 若い女性歌手が歌うのは民謡で、テレビをつければ猿のアニメーションと二番煎じのバンドミュージック。

 

 映画を真似たダイナマイトでの銀行強盗は即座に失敗する。ここで爆発させたい何かはあるのに肝心の火がなかったことが象徴的でしびれる。

 

 捕まらなかった片割れは何もない土砂だけの大きな道をバイクで走っていく。これがアメリカのイージーライダーのような映画を思い起こさせるが、古いバイクは故障して止まる。

 

 夢は夢の形を保てずに手に取ってみるたびにことごとくこれも幻だった、これも幻だったと潰えていく。

 

後記

でもその結果までの過程は確実に存在し、人生に刻まれる。

そして、それがまさに映画なのでは。

問題とその結果のみを見せる、どんでん返し映画やミステリーへの完璧なリプライ。

過程はあるが、結果はないそしてリアルな人生はこっちに近い。

 

 

 

映画『魂のゆくえ』考察

 

良い映画だったけど、最後に愛に救われるのか?

ぼくが掬い切れていないせいか。そんなことで終わるのかと思う。

 

 

夫婦が2つの思想、進路の鏡になっている。もう人類は行き着くところまで行き着いたと、武力行使で抵抗するか、それでも希望をもってできる限りの行動を続けていくか。牧師は2つの間に立たされる。

 

結果として牧師は夫を助けるために相談を受けたが飲み込まれ、その妻の方に救い出される。

 

だが、助けの手を差し伸べる元妻を罵るような男が新しいパートナー、それも夫を救い出せなかった女と手を取り合ってうまく行くのか。解決は一時的なものでしかないようにも感じられる。

 

 

この映画の後のことまで考えてみると牧師は自殺した夫と同じように自問自答し続け、妻の横で葛藤し続けることになるだろう。そして、自殺する。

この繰り返しになる可能性が高いように思われる。 もしそうでないならば、この映画が描いたものが正しい愛を見出すこと、パートナーを見つけることが大事って話になってしまうんじゃないか?

 

 

・この作品のテーマ

正義とは何か、なのか

ある観点から考え始めて結論づけられる正しいことも、世間的には圧倒的な悪になりうる。

 

 地球規模のことを考えた正しい思想や行動も、より小さな規模である社会の中で裁かれる。その際に地球規模のことは判断の材料にはならない。奇妙な話。

 地球の一部については所有者が明確で被害を受けるものも責任を負うものも明確にできる。しかし、地球全体になると誰が誰に被害を与えたかは特定できないし、それを裁く立場も存在しない。

 

 神が人間を裁くのであれば彼がテロを起こした場合に一体どう裁かれるのかはわからない。社会的な基準での真理は絶対的なものではないということを思い起こさせる。

 

より広い視野と知性を持つほどに思想と実際に選択可能な行動との間には距離が開いていく。物事の判断はいくつものレイヤーにおける障害や矛盾にぶつかっていく。

ミシェル・ウェルベックを読んで感じたこと

 

 

 現代文学の最高峰を調べるとミシェル•ウェルベックミシェル•ウェルベックミシェル•ウェルベックと出てきます。

 

ぼくは最も偉大だと評されているものにとにかく触れたいのでミシェル・ウェルベックを読みました。

いや、順番的に言うとバラード、ピンチョン、ウェルベックの順で読みました。

 

 

どれ読もっかなってめっちゃ迷いました タイトル的に素粒子と闘争領域の拡大がヤバイなーって感じなんですが

 

 

アートが好きなのでジェフ•クーンズとダミアン・ハーストが会話する最初の2、3ページ読んでこれおもろすぎる!って興奮して『地図と領土』にしました。

 

 

で!読み始めたんですが、ジェフクーンズもダミアンハーストも出だし以後全然出て来ない笑

 

 

かつ何をどこを読めばいいのかわからない。どこが読みどころなのかがわからない状態が永遠に続きます笑

 

 

そもそも全然殺されへんやんけ

いつ殺されんねんってなって

 

やっと殺された時の描写とその辺りとそれ以降はめっちゃ良かったんですけど

 

全体としてはうーん、評価されることはいいとしてそんなにこれ読んでる途中面白いか?ってなりました。

 

 

でも、この小説が現代最高だとされてる理由がやっぱり気になる気になるとウェルベックのファンがやってるツイッターフォローしたり、ウェルベックの詩読んだり、素粒子の映画を見たりしてたんですよ

 

 

そしたら段々とミシェルウェルベックがやってることのその面白み(面白いというのは語弊があるような気がする)がジワジワわかってきたという感じですね

 

 

ぼくが個人的に感じた面白さっていうのは

まず、薬のラベリングとか説明書みたいにまるで世界全体はテキストに置き換えれると考えてるかのように淡々と緻密に描写していること(でもまぁこれは他の作家にもありそう)

 

そのテキストに独特なフェティシズムというか快感がある。こういうやり方、書き方があるんかと時間を経て頭で理解できるようになるとなおさらえげつなくインパクトがありました

 

 

 

それから恋愛の不可能性、関係の不可能性

これは地図と領土ではそんなに出てきてなかった記憶ですけど

 

けっこうはっきりと性描写がある。そのことが恋愛の渇き、男女の関係の渇きや虚無感を浮き彫りにしているように思える

 

何より恋愛においてセックス、性器が何より優先してあってその後に2人の人間としての関係性があるという感じ

 

(ここネタバレ)

この作品においてはまず一気に興奮がやってきて、そのあと2人が一緒になってもいいような感じなのに積極的に動こうとはしないで、なんだかんだ疎遠になっていくといった感じ

わかるわ〜

 

 

愛ってなんなんや

現代人なら愛ってこれや!この人や!ってなった人との間にある絶対的なものだろうという期待や観念を子どものうちに持ってしまっている

 

だけど実はもっと積極的に強引にでも2人であるいは自力で作り上げるものなのかもしれない

(エーリッヒ•フロムの『愛について』では後者よりだよと言っている)

 

けど、愛ってそんなものなの?という思いも消せるわけがなく。その戸惑いのうちに愛が、相手が、遠ざかっていってしまってもう取り返せない。そんなことを思う

 

 

何よりマッチングアプリしてると常々ミシェルウェルベックを感じます