哲学科卒美大中退フォト/ビデオグラファーのアート全域鑑賞記録

アート全般に関するフランクな考察、感想が読みたいなと思ったのでまず自分が書いています

映画 ジョーカー 考察

見る前にcmで思ったこと

現実後追いしてる感じやなぁ。前に同じこと思ったのはシンゴジラ

 

ただ、ジョーカーを見終わってから思ったのは現実を一旦整理して咀嚼すること、客観的に見直すことが必要なのかもしれないということ。シンゴジラは何の映画だったのかまた観て考えてみたい。

 

で、この映画を見終わって最初に思ったことはヴェネチア獲るような映画なんかなー。なんでヴェネチア獲れたんやろ?っていうこと。ほんまにヴェネチアをこういう映画が獲ったことってないんじゃないか。

 

なんでそう思ったかというと新しい示唆や視点というか思考や知性を刺激するようなことはしていなかったから。

ただ、この名もない無数の人々が押し寄せてくる感覚、勢いをもって蠢くものを体に浴びることで思考する映画なのかもしれない

 

 

まず疑問点羅列

•この映画に問いかけがあるとしたら何か

•そもそも意味のための映画か

•なぜ母子家庭なのか

•なぜ母親は気が狂ったのか

•なぜウェインとの息子だと思い込んだのか

•隣の母子家庭の存在意義ー愛を夢見ること、欠けたピース=接続可能性

•なぜ笑い続けるのか

•よくわからなかった反復されるセリフ「小さいころピエロになりたいと言った。母は〜」

 

 

 出てくる場所は最下層のアパート、家、ピエロの職場、地下鉄、ニューヨーク、ウェインの豪邸、家の中のTVとTVショーのスタジオ。 

 

アーサーには社会に居場所がない。だけど家に帰ればTV、夢が見れる。ーここは現代と共通

 

ジョーカーは普通入れないはずのこの夢の中に、イカれすぎていたために呼ばれる。言い方を変えると遠すぎたために呼ばれる。ーここもいきなり一般の人が有名になりやすい現代とダブるかもしれない。遠くへ行って外れてしまうこと、外れてしまったものも有名人の事象と同列に世界の一ポジションを占める。時代の流れを作る。メインカルチャーに包摂される。

 

アーサーはTVショーという夢の世界に入り、その内側から夢をブチ破り、一瞬で現実と地続きにしてしまう。

全てがフラットになったとき1人だけ飛び出した杭はそのまま王として崇められる。

 

 

思ったこと

逆に現実に入り込み現実をブチ破り夢と現実を地続きにすることもできうるか?