現代文学の最高峰を調べるとミシェル•ウェルベックミシェル•ウェルベックミシェル•ウェルベックと出てきます。
ぼくは最も偉大だと評されているものにとにかく触れたいのでミシェル・ウェルベックを読みました。
いや、順番的に言うとバラード、ピンチョン、ウェルベックの順で読みました。
どれ読もっかなってめっちゃ迷いました タイトル的に素粒子と闘争領域の拡大がヤバイなーって感じなんですが
アートが好きなのでジェフ•クーンズとダミアン・ハーストが会話する最初の2、3ページ読んでこれおもろすぎる!って興奮して『地図と領土』にしました。
で!読み始めたんですが、ジェフクーンズもダミアンハーストも出だし以後全然出て来ない笑
かつ何をどこを読めばいいのかわからない。どこが読みどころなのかがわからない状態が永遠に続きます笑
そもそも全然殺されへんやんけ
いつ殺されんねんってなって
やっと殺された時の描写とその辺りとそれ以降はめっちゃ良かったんですけど
全体としてはうーん、評価されることはいいとしてそんなにこれ読んでる途中面白いか?ってなりました。
でも、この小説が現代最高だとされてる理由がやっぱり気になる気になるとウェルベックのファンがやってるツイッターフォローしたり、ウェルベックの詩読んだり、素粒子の映画を見たりしてたんですよ
そしたら段々とミシェルウェルベックがやってることのその面白み(面白いというのは語弊があるような気がする)がジワジワわかってきたという感じですね
ぼくが個人的に感じた面白さっていうのは
まず、薬のラベリングとか説明書みたいにまるで世界全体はテキストに置き換えれると考えてるかのように淡々と緻密に描写していること(でもまぁこれは他の作家にもありそう)
そのテキストに独特なフェティシズムというか快感がある。こういうやり方、書き方があるんかと時間を経て頭で理解できるようになるとなおさらえげつなくインパクトがありました
それから恋愛の不可能性、関係の不可能性
これは地図と領土ではそんなに出てきてなかった記憶ですけど
けっこうはっきりと性描写がある。そのことが恋愛の渇き、男女の関係の渇きや虚無感を浮き彫りにしているように思える
何より恋愛においてセックス、性器が何より優先してあってその後に2人の人間としての関係性があるという感じ
(ここネタバレ)
この作品においてはまず一気に興奮がやってきて、そのあと2人が一緒になってもいいような感じなのに積極的に動こうとはしないで、なんだかんだ疎遠になっていくといった感じ
わかるわ〜
愛ってなんなんや
現代人なら愛ってこれや!この人や!ってなった人との間にある絶対的なものだろうという期待や観念を子どものうちに持ってしまっている
だけど実はもっと積極的に強引にでも2人であるいは自力で作り上げるものなのかもしれない
(エーリッヒ•フロムの『愛について』では後者よりだよと言っている)
けど、愛ってそんなものなの?という思いも消せるわけがなく。その戸惑いのうちに愛が、相手が、遠ざかっていってしまってもう取り返せない。そんなことを思う